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情報の取捨選択
こんにちは、寒い日が続いていますね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
一気に寒くなりましたので、暖かい格好でお出かけしましょう!
今回は情報の取捨選択について思ったことがありましたので、勝手ながら綴ります。
先日、会合に少し早い忘年会出席し名刺交換をさせていただいた際に、見に覚えのない話をされました。内容は、前向きな良い方向のお話でしたが、事実をお伝えし、誰からの発信されたお話なのかを特定いただくようお願いいたしました。前向きな内容でしたし、幸いにもメールやSNSで証拠が残っていたりしてはいませんので当然、法的手段への移行はいたしませんでした。
信用を損なうマイナスの情報ならどうでしょうか?
一般的に、事実に基づかない主張(越権行為、必要以上の請求、求めてはいけないライン超えること)や発信がメール証拠として残っている場合は、いつでも法的手段がとれますし、その内容が特定され明らかになった場合も同様です。
また、越権行為(権利を超えた要望や主張が繰り返された場合)は、当然法的手段をとることになりますし、とらなければならなくなります。メールなどで証拠が残っていれば尚更ですし、それが法人であれ個人であれ、団体としての主張なのか個人としての主張なのかも最終的には見極めがつきますからね。団体内でも個人間でも裏切られてからでは遅いですから。
情報の取捨選択は、『うわさ』や『情報』を聞いた当人が行うことであります。また取捨選択のタイミングも同様に情報を受けとった当人が行うことです。
■可哀そうなお話で情報の受け取り側が経験や見識が狭い場合、そのうわさや情報を自身で確認もせず、『真実』として受けとり、考えもなしに行動してしまう。また気付かないうちに法律をも踏み越えた行動をとってしまう。途中で自身の行き過ぎた行動を理解しつつもプライドが高いため引き返せない。
■逆に、経験や見識が広い方は、その情報が正確であるかを精査する『能力』と『意欲』を備えています。そして『事実確認』できた人物は正しい情報を基に正しい行動をとることができ、またそのような行動がとれる人物は多角的な視点で客観的に物事を判断できる可能性が高いといえます。そして偏った意見は言わない。
『森の奥で一本の木が倒れました』
『誰も見ていなかったし、誰も傷つけなかったし。どうします?』
私の好きなドラマ 【 きらきらひかる 】のワンシーンです。

※きらきらひかるDVDボックス表紙画像 引用
●『どうもしないわよ』
●『ウサギが被害届でも出したら見に行くかも』
●『マツタケが生えている森なら見に行くわ』
●『私は見に行きます。どんな木が倒れてたのか、、、本当に倒れたのか、、、』不思議なシーンです。
誰が正しいとも言えない。これが私の思ったことです。
ただ一番たちが悪いのは、自身が確認できる状態でありながら、確認もせず『木が倒れた』『気が倒れたらしい』と言いまわっている人です。なかなかそんな方も居ませんけど。
このブログを書きながら改めて感じたことは、
■情報が入ってくれば信じ、入ってくれば信じを繰り返すことは人の成長を妨げ、人として留まっているということ。そして自身で情報もとりに行かず、自分が確認した事実を基に話ができないから、何も残らないこと。
■多角的な視点をもってない人物は、自身が多角的な視点を持ち『正義の味方』であるような振る舞いをする。前に進もうとする人の未来を奪う『権利』も『資格』もないのに、勘違いから、過剰行動を起こし法にも触れてしまう。
『鷹がウサギを狩れば、ウサギがかわいそうだと言い、ウサギが木の芽を食べれば、植物の成長を妨げたという』
情報を精査し、多角的に物事を捉え、未来を生きる人々を想える。
年を重ねても、そんな思考を継続してもてる。そんな人物になれたらと思います。
長文拝読ありがとうございました。
不動産コムサイト専務取締役 西田









